こちらたぁさんのブログです

チャレンジしたこと、思ったことを綴っていきます

独白

こんにちは、たぁです。

センチメンタルな気分なので、少し自分の過去を振り返ってみようと思います。

いつもは見栄を張っていますが、洗いざらい独白します。

 

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1987年12月25日生まれ。

俺には2つ上の兄と、1つ下の妹がいる。

かなりわんぱくな少年だったと思うけど「人のふり見て我がふり直せ」で、兄貴が怒られてるのを見てずる賢く立ち回っていた様に思う。怒られた記憶はそんなにない。

きっと兄貴からは「こいつは怒られないのに…」とか、嫌な目で見られてたんだろうなぁと思っている。ちなみに俺は兄貴がとても好きだった。なんでも出来たし、人が集まってくるようなカリスマ的な魅力のある人間だったからだ。

妹がいたことで、それなりに自立が求められた。親は妹に手を回すし、自分は和を乱したらいけない、だから常に規律を守らなくちゃ、雰囲気を良くしなきゃ、みたいな意識があった。きっと妹からは「お調子者、道化め…」みたいな嫌な目で見られてたんだろうなぁと思っている。ただ俺は妹が好きだった。末っ子らしくわがままで自分を曲げないところとか、唯一気を遣わないでよかったところとか。

学生時代、幸いにも俺はある程度器用だった。勉強もスポーツも文科系のこともそこそこ出来た。弱きを助け、みんなで仲良くしよう!と促すような善人を気取っていた。小学生の文集では自衛隊に入って国を守るんだ!的なことを書いたさ。低学年の頃、人生で一度だけ喧嘩に負けて、少しぐれた暗黒時代もあったが…。

中学の頃は生徒会に入るようないい子ちゃんだった。このころには人生の目標が出来た。「金持ち」になることだ。友達に勧められて、ロバートキヨサキ著の「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだ影響だ。自分が金持ちになれば、きっとみんなを幸せにできるなんて考えてた。

高校でのほとんどの時間はバンドに費やした。バンドは面白かった。主に人との出会いが。真剣に音楽をやってるやつ、頭がいいやつ、先のことなんて考えず今を最高に楽しんでるやつ…そういう色んなヤツがいて、飽きなかった。みんなかっこよかった。ステージに立つことが出来る喜びを感じ、エンターテイナーとしての自我が芽生えた。誰かの憧れに自分もなりたかった。

大学は金持ちを目指すべく「マネジメント」を学べるところに入学した。一生懸命学んだ結果、成績はSとAしかなかったはずだ。成人して、亡くなった母親から俺が15歳の時に書いた手紙が届いた。『金持ちになる夢に向かって頑張っていますか、ニヤーっと笑える人生を送ってください』と…。本当に、良い母親だよ。もちろんその目標に向けて頑張っていた俺は、バイトを通じて店舗運営を学んでいた。安易だったかもしれないけど、その頃は、お店を経営することはヒト・モノ・カネの管理が出来る事だ!とか言って、店長の仕事を覚えることが経営者に繋がる道だと信じてカラオケ店や居酒屋でバイトをしていた。…後にそのまま某カラオケ店を展開する会社に入社した。

入社し、研修期間を経て最初に店長として着任したのは東京の潰れる間際の売上が悪い店だった。前任の店長は中国人の女性。あぁ、従業員を甘やかしていたんだろうなと前任店長に対してひどい妄想もした。自分は初めての店長としての着任。気合の入っていた俺は、そこで大失敗をした。

着任してわかったこと。いや、分かり切っていたこと。仕事の質の悪さ。もちろん、人が悪いわけではない。教育が行き届いていないのだ。そして朝・中・夜番の仲の悪さも問題だった。俺には経験があり、絶対に正しい自信があった。だから、それを押し付けた。みんなとミーティングを実施し、改善を図ろうとした。自分の都合だけで。詳細は省くが、その結果は散々たるもの…。従業員はそう、辞めていった。

残った人は自分と波長や気が合う人間たち。それはうまくいくさ。新しく採用するのも自分が好ましいと思った人材なわけだし。みんなで心を一つにして、俺はがむしゃらに働いた。そして売り上げは上がっていった。店には笑顔も増えた。接客の質も上がった。前年比120%は当たり前。順調だった。

でも、閉店した。閉店店長をした。その前からの負債が大きすぎたらしい。自分が着任する前からほぼ決まっていたことだというけれど、そんなこと知らなかったし、悔しかった。その時は新卒で2年目の夏。2011年、震災があった年。そういう背景もあるのかもしれないけれど、やりきれなかった。今まで働いてくれていた子達にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

それからは半年ずつくらいで異動した。店舗の評価が上がったら(問題の改善が完了したら)異動。売上とか、あとから付いてくる成果が見られる前に店を離れなければならなかった。与えられた役目を全力でやる。それはそうだけど、達成感や充実感は得られなかった。だって、俺がやりたかったのは経営だから。そして長野への異動を言い渡された時に退職を決意した。

そして俺は保険の営業マンになった。素敵なマネージャーとの出会いと、「個人事業主」というステータスに魅了されてしまったのだった…。浅はかだった。保険の営業は俺の心を折るのに十分だった。俺は多分、適当すぎた。これまでの生き方が営業のスタンスにしっかりと出た。病気になったら保険には入れない(入りにくい)んだって、資産形成の一助なんだって、絶対に必要だって、本気になって伝えなかった。申し込むか決めるのは君だから必要になったら言ってって。…身も心も若すぎた。

1年で退職した。俺に足りないのは営業力だと思った。次の会社では営業力を身に付けようと思って、専門的ではあるけれど、教育に関わることの営業をやることにした。ゴリゴリの営業の職場。成果が出せなければ退職勧告。結果半年で退職。またしても挫折を味わった。

今まで順調に思えた人生だったが、この2年でどん底。自分には才能なんてないんだって打ちひしがれた。自信喪失。何をするにも付きまとう劣等感。俺はダメなやつなんだ。今まで成功してきたことなんてあったっけ?自問自答してまた自己嫌悪。

この頃には子供もいた。いい家庭で在りたいと思った。だから次の仕事は営業から離れた。

次の仕事はレセコン(医療業界の会計関係)のPC(ソフト/ハード)及び周辺機器のメンテナンスをすることに。修理して、喜ばれる。やりがいのある仕事。誰かのお役に立てている、いう実感があることで、すこしずつ沈んでいた心も浮上してきた感があった。入社して約半年で営業をやらないか?と声を掛けられ営業に。心機一転、俺は頑張った。勉強して、絶対に成果を出すんだって。ここでつまずくわけにはいかなかった。

結論から言うと、売れた。それは企業努力であり俺の成果ではないかもしれないが、それでも売れた。初めて営業で充実感が得られた気がした。絶対に勝てない営業の先輩が4人いたけど、切磋琢磨していたし、とても充実していた。

それから月日が流れ…保険の時のマネージャーから声がかかった。

「キミ、今の仕事はどうだ?転職する気はないか?ちょっと話聞いてみないか?」

ステップアップしたかった自分にとって最高の機会だった。運命の巡り合わせ。それも、尊敬する恩師からの紹介。

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ここまでが今の職場に至るまでのざっくりな経緯。

そして転職した。業界は全く別。新しいチャレンジ。

それが今の環境。(離婚もしたしねw)

 

ぶっちゃけ言うと、どん底の2年間の劣等感はまだ引きずっています。失敗が怖い。自分を肯定してあげられないから。

…それでも昔に比べたら、最近は自分を認めてあげられてる気がします。

温かく見守ってくれる皆さんのおかげです。

失敗は成功の基!もっともっとチャレンジして、チャンスを掴んでいきたい!

今はそんな風に考えられるようになりました!

かなり長くなりましたが、読んでくれた人いたら感謝です!笑

こんな私ですが、これからも仲良くしてくださいね!

一緒に楽しい人生にしましょう!!

 

ではでは!